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日本の写真界を牽引した、深瀬昌久個展「救いようのないエゴイスト」開催(5/29~8/14)

日本の写真界に大きな影響を及ぼした写真家・深瀬昌久。7年ぶりとなる写真展「救いようのないエゴイスト」がDIESEL ART GALLERYにて5月29日(金)から8月14日(金)まで開催される。

1974年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)において日本の写真家を世界に初めて紹介した写真展『New JapanesePhotography』が開催された。土門拳や東松照明、奈良原一高、森山大道といった近代日本写真の第一人者らが一堂に会するなか、妻・洋子の写真を展示したことで話題を呼んだ深瀬昌久。

深瀬の写真とは、妻や家族、あるいはカラス、猫など、身近なモチーフにレンズを向けながらも、「自分とは何者か?」という問いを追い求めるものだった。
「いつも愛する者を、写真を写すという名目で巻き添えにし、私も含めて誰も幸せにできなかった。写真を撮るのは楽しいか?」と自らの過去を振り返ると共に、「すべてをやめたいと思いつつ写真するぼくの作業は、いま生きていることへの復讐劇かもしれない」という言葉を遺している深瀬。写真の先にあるものを暴く行為がそのまま自分自身の生死に直結する̶̶、そんな焦燥感と寂寥が彼を表現の挑戦者として奮い立たせたのかもしれない。

1985年には、オックスフォード近代美術館(英)において『Black Sun: The Eyes of Four』という題名の下、東松照明、細江英公、森山大道との四人展を開催。またヴィクトリア&アルバート美術館(英)やカルティエ現代美術館(仏)といった世界の名だたる美術館での展覧会に参加するなど、名実ともに日本の写真界を牽引する写真家の一人として知られる。1974年に開設された「WORKSHOP写真学校」では、東松照明や森山大道、荒木経惟らと共に講師を務め、若手写真家の育成に力を尽くした。還暦を目前にした1992年6月、行きつけのバーの階段から不慮の転落、脳に重度の障害を受けた。写真との対峙に酷なほどのめり込んだ末、誰もが想像しない形で作家活動を閉ざすことになった深瀬は、ついに再起を遂げることなく2012年に他界。

深瀬が遺したものは今なお謎めき、色褪せることのない魅力を放つ。本展タイトル『救いようのないエゴイスト』は、元妻・洋子が1973年発刊の「カメラ毎日」誌別冊に寄稿した原稿の題名。この中で「彼の写した私は、まごうことない彼自身でしかなかった」と言い表すように、いかなる事物と向き合ってもその先に自らを見つめた深瀬その人を如実に象徴している。本展ではこの言葉を拠り所に、数十年の沈黙を続けた深瀬の貴重な未発表作品や代表作を展示。

【PROFILE】
深瀬昌久(ふかせ・まさひさ) 
http://masahisafukase.com
1934年、北海道中川郡美深町にて生まれる。
1956年、日本大学芸術学部写真学科卒業。
日本デザインセンター、河出書房などの勤務を経て1968年、フリーランスとなる。主な写真集として、『遊戯』(中央公論社、1971年)、『洋子』(朝日ソノラマ、1978年)、『鴉』(蒼穹舎、1986年)など。主なグループ展として、「New Japanese Photography」展(ニューヨーク近代美術館、1974年)、「Black Sun: The Eyes of Four」展(オックスフォード近代美術館、1985年)、「By Night」展(カルティエ現代美術館、1996年)、「OUTOF JAPAN」展(ヴィクトリア&アルバート美術館、2002年)など。その他個展多数開催。主な受賞として、1976年個展「烏」で第2回伊奈信男賞、1992年第8回東川賞特別賞など。
2012年、没。

「救いようのないエゴイスト」
アーティスト: 深瀬昌久
キュレーター: トモ・コスガ(深瀬昌久アーカイブス)
会期: 2015年5月29(金) – 8月14(金)
会場: DIESEL ART GALLERY
住所: 東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
TEL: 03-6427-5955
WEB: www.diesel.co.jp/art

開館時間: 11:30-21:00
入場料: 無料
休館日: 不定休
協力: 深瀬昌久アーカイブス / カイジュウインク/ TRNK / フォトグラファーズ・ラボラトリー / ルーニィ・247フォトグラフィー/ 株式会社サンエムカラー/マルニ額縁画材店

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