2020年オリンピック開催都市決定へ向け室伏広治と子供たちが聖火台を磨く(9/1)
9月1日、オリンピック開催決定6日前イベントとして、ハンマー投げの室伏広治選手と子ども達との聖火台磨きのイベントが国立競技場で行われました。
聖火台は胡麻油で磨かれ、辺り一面いい香りが漂う中、和気あいあいと作業が続けられました。
聖火台磨きのあとは、選手による応援フラッグが国立競技場に掲揚。 室伏広治選手の挨拶と聖火点火カウントダウンでイベントは終了。
イベント後に、報道陣やお客さんと記念撮影をしたり、子どもたちの声援に応え、室伏選手は一人一人サイン。あっというまに子どもたちがたくさん集まり、暑いなか、子どもたちはとても喜んでいました。
イベント後、インタビューで室伏選手は国立競技場聖火台磨きへの思いを熱く語りました。
台風がくるということで今回が最後になってしまうこのイベントができないかもしれないと心配していましたが、今日はいいお天気でイベントが開催できて本当に良かったと思います。
この聖火台磨きは2008年まで、鈴木文吾さんが奥さんと毎年磨いていました。そのことを私が2008年に知った時に、誰にも知られてなくて、皆に広めたいと思いこのイベントをはじめました。
オリンピアンの精神、象徴でもある聖火台なので、イベントでも気持ちをこめて磨きました。そして、未来の子どもたちと一緒に磨けて良かったです。
2020東京オリンピックは多くの人の願いでもあり、私も望んでいます。日本人ならではの、物を大事に大事にして後世に伝えていく。世代をこえた何か忘れていたものを思い出すことが出来たと思います。
オリンピックを東京で開催することで日本にも大きな影響があり、東北復興にもつながり、未来をささえる子どもたちにも大きな影響をあたえ子どもたちの夢をはぐくむことになります。
今後、新しいスタジアムが作られるが、聖火台は私からいうのもなんですが、残さなければいけない遺産のひとつだとおもいます。
すべての世代に受け継ぎたいレガシー<遺産>として価値ある聖火台と聖火台が伝えるオリンピックの精神
今年も国立霞ヶ丘競技場の聖火台を磨く日がやってきました。今から48年前の1964年日本で初めて開催された東京オリンピックで使用された聖火台は競技場バックスタンド最上段にそびえ立つ黒い植木鉢のような形状のもの。
この聖火台が約半世紀も経て今もなお現役として活躍していることを知ったのは3年前のことでした。 聖火台は高さ2、1m、直径2、1m、重さ2、6tの鋳物でできており、鋳物作りで栄えた川口市の鋳物師の名工 鈴木萬之助、文吾親子が命がけで作り上げたもの。
聖火台は1958年5月に行われたアジア競技会で初めて使用され、その6年後の東京オリンピックでオリンピックの象徴である聖火が灯された。
その後、毎年、東京オリンピックの行われた10月10日前後に文吾さんは聖火台を磨かれたそうです。
文吾さんは2008年に亡くなり、その後は文吾さんのご家族、ご親戚と川口市の関係者の皆さんが毎年この季節にたわしで埃をはらい、ごま油で聖火台を磨きあげられてきたのです。初代の聖火台が、今も現役でその雄姿を見せているのは手入れが入念に行われていたからなのでした。
多くの人に知られることもなく、50年にもわたって聖火台磨きが続けられてきたことはなんて素敵なことだろうと感動し、是非皆さんにこのエピソードを知って頂きたいと思ったのです。
聖火台はオリンピックの象徴です。私もオリンピアンの一人としてこの話を聞いた時にぜひ一緒に磨かせてもらいたいと思い2009年にこの聖火台磨きのイベントを発案したのです。
スポーツに親しむ、小中学生、高校生、未来のオリンピアンに参加を呼びかけてきました。
アスリートのパフォーマンスを見守り続けてきたこの聖火台をさまざまな世代の人々が磨き、大切に扱い、レガシー<遺産>として現在、そして未来に継承することもオリンピックの精神に触れることに繋がると私は確信しています。
今、東京は2020年の夏季オリンピック開催に向け、再び招致活動を行っていますが、1964年東京オリンピック以来、オリンピック精神はこの国立霞ヶ丘競技場の聖火台に象徴されるように東京の地に根づき今日に至っているのです。すべての世代にスポーツに親しんでもらうこと、これからのオリンピックが伝える重要な精神の一つと私は考えます。